どうしてFIRE(早期退職)したいの?その答えがありますか

流行ってますね、FIRE(Financial Independence,Retire Early)。
Twitterでもブログでもよくそういう文字列を見かけます。個人投資家界隈で特によく見かけます。

私も便宜的に「アーリーリタイア」というカテゴリを設けていたりしていますが、私の場合、本気でアーリーリタイアしたいと思っていません。
働きたくはないですけどね、働きたくないけど積極的アーリーリタイアしたいわけではないという立場の話をします。

まったくもって無駄な人にとっては無駄な話なので、ここまででつまらなさそうと感じた人はブラウザバックを推奨します。

何になりたいのかを問いかけます
一人道を歩く

FIREの定義を確認しよう

といってもそんな明確な定義が多分ない。強いてそれっぽことを言えばFIRE(Financial Independence,Retire Early)の通りで、経済的自立及び早期退職をするということでしょうか。
なので、「生活に困らない資産を持ちつつ、フルタイムで労働することをやめる」と仮に定義しましょう。少なくとも本稿ではその定義で話します。他の記事とかTwitterなどでどのような意味で語られているかはその時時で違いそうな気配があるので、この定義の範囲はあくまでも限定的なものです。

FIREしてなにしたいの?

ずっとこれを考えています。が、頭に浮かんでくるのはFIREしてなくてもできることばかりです。例えば以下のようなことです。

  • 博士号をとる(興味がある分野の研究をする)
  • 本を出版する(し続ける)
  • 実家の(個人)事業を軌道に乗せる
  • ひたすら本を読む
  • Vtuberとしてバ美肉する
  • 世界のいろいろな土地に行って、そこでの暮らしを知る

どうでしょう。私の場合、この6つのうち、6つは働きながらでもできそうな気がします。というかすでに一部やってます。
本は今別途副業として執筆を進めているし、本は毎日読んでいます。実家の事業はWeb方面で手伝いを進めています。バ美肉はこの間WindowsのPCを買ったのでやる気になればできるでしょう。ガワを発注するお金もあります。
難しそうなのは博士号取得と、世界を旅しながらその土地で暮らす、ですが、これだって全く無理なわけではありません。前者は社会人入学もできますし、後者はCovid-19を期にフルリモートが解禁され、好きなところで働けるようになりました(海外だと時差はあるけどね)。

こう考えると「FIREをしたからこそできること」って私がやりたいことの中でもそんなにないんですよね。
加えて、自分の親や家人などが今後体調を崩すことなども考慮に入れると気軽にリタイア、とも言ってられないなと思うわけです。

今自分の労働環境が比較的恵まれている(フルリモートができる、フレックスがある、副業もできる)ような企業に勤めていることに加え、ブラックな企業ではないので上記のような結論になるのですが……。
アーリーリタイアをしたほうがもちろんもっとフレキシブルに自分のやりたいことができるのは理解の及ぶ範囲なのですが、やっぱりリスクもつきまとうことは変わらないと思うのです。
ここで言うリスクとは、例えば年金の受給額が減る、親の介護、子供の養育費、自分のメンタル・身体の不調、会社というコミュニティを失うこと、世界とは自分だけの力でつながらなければいけなくなる、などのことを想定しています。多分もっとあるけど。

会社に勤めていれば上記がすべてリスクフリーとなるかというともちろん答えはNoなのですが、人生のボラティリティとしては高まる方向に行くと思うんですよね。

というわけで、FIREを目指す皆様はどんなことを考えてそれを目指すのだろうか、という疑問に至ったわけです。本当に手に入れたいものってなんですか?
私にはその答えが、今ありません。上述の通り、FIREを断行しなくても実現可能な夢しか持っていないからです。

どうしてFIREしたいんですか?アーリーリタイアしたいんですか?労働契約を終わらせて、手に入れたいものはなんですか。その先にあるものはなんですか。
これをずっと考え続けること、頭の片隅に置き続けることは間違いなく意味のあることです。

FIREはムーブメント

このへんで明記するのですが、これはFIREを目指している人を斬りつけるために書いている文章ではなく、自分の頭の中を整理するための文章です。
で、FIREってムーブメントであり、将来のいつかを境にぷっつりと流行が終わる可能性も高いわけです。流行の中に身をおいて、自分で判断したぞ、と思ってFIREしてみたらすっかり周りは違う流行に浮かされているなんてザラにあります。そういえば一時期、「個の力」が云々などという話で、会社をやめてフリーになった人たちは幸せに暮らせているんだろうか……。

判断を後押しする人は無限に湧いて出てきますが、それに対して責任を取る人は誰もいません。自分一人で背負うのです。場合によっては周囲の人を巻き込んでしまう可能性だってあります。

FIREを煽る記事は世にたくさん溢れています。なぜならお金になるからです。副業を推奨する記事も溢れています。なぜならお金になるからです。そこに潜むリスクに対して強く警鐘を鳴らす記事はありませんしバズりません。なぜならお金にならないからです。
(ちなみにこのブログでも副業に関する内容について触れていますが、マネタイズの目的はなく実際にやっている立場として実態を伝えるために書いています。当然、なんらセンセーショナルな内容ではないので、まっっったく読まれませんし、バズりません、内容がつまらないかもしれないという話は別だよ)

FIREいいと思います。でも私は、立ち止まって「必ずしもFIREである必要があるのか」を考え続けたいです。例えば転職でもいいかもしれない、起業でもいいかもしれない。身を立てるすべは実はいくらでもあります。

セネカも『人生の短さについて』の中でこういってます。

われわれは、短い人生を授かったのではない。われわれが、人生を短くしているのだ。われわれは、人生に不足などしていない。われわれが、人生を浪費しているのだ。

自分がやっていて無為であると思うことに費やす時間はありません。無為ではないこと、自分の目的を達成するために時間やお金を始めとする資本を活用するほうが良いでしょう。
FIREはそのうちの手段の一つでしかありません。FIREを選んだからこそ叶えられることがあるなら、それを選べばいいのだと思います。
目的は、叶えたいことは、その先に掴みたいものは、そんなふうに深堀りをして、自分の欲望に名前をつけることができたら、そうしたらようやく私はスタートラインに立てる気がします。

あなたの欲望はなんですか?